気まぐれ日記 09年5月
09年4月はここ
5月1日(金)「37階の男逝く・・・の風さん」
会社生活が長くなっているので、毎月のように定年退職者を送ることになる。同じ職場ということではない。色々な職場の人と一緒に仕事をしたことがあるので、自然と知人が増えているのだ。
世の中ということになると、知人ではなくても、著名な人が次々に亡くなっていく。それだけ自分も長く生きてきたということなのだろう。昨日の朝刊に、中丸忠雄の訃報が載っていた。私にとってはテレビドラマ「37階の男」の主役として親しみがあった。生意気なガキだった私は、スーパーマンみたいな正義の味方で、おまけに女にもてるというのが理想像だったのだ。マツダコスモスポーツを乗り回し、霞ヶ関ビルの36階に住んでいる神振太郎(じんしんたろう)という、作家兼探偵を中丸忠雄が演じていた。おっと、作家兼探偵? 今の私に少しだけ近い(笑)。
今日は、ゴールデンウィーク中、1回だけと決めた遠出の日(?)で、ミッシェルと名鉄、地下鉄、市バス、タクシーを駆使して、名古屋まで出かけてきた。あちこち回ったぞ。うん、やっぱり37階の男に近いかも。
5月2日(土)「頑張らねば・・・の風さん」
昨夜はDVDでタカラヅカ「黎明の風」を観た。昨年、宝塚と東京で2回観たミュージックプレイである。なんといっても轟悠さんがカッコいいし、硬派の私にはストーリーもしっくりくる。
今日は元気に起きて、朝から執筆に励んだ。しかし、緻密に調べながら書いているので、なかなかはかどらない。また、追加資料も欲しくなった。やれやれ。
夕方からトレーニングに出かけた。先月4回行ったが、今月は今日が1回目。今年を乗り切るためには体力しかない! 頑張らねば。
トレーニング後、体重がしっかり落ちているのを確認して、外へ出てからケータイで電話をしたら、長電話になってしまった。目の前を暴音族が突っ走っていく。次第にたそがれ色に染まっていく。温まった体が冷えてきて、電話を切った。新鷹会の行く末についての電話で、憂鬱な内容だった。昨日の続きではないが、人間は老いていくし、間違いなく死んでいく。後に残る者を育て、後事を託していくしかないのだ。
せっかく長生きして色々なことができるようになったのだから、これを次の世代に伝えていかなければ……。まだまだやることはたんとある。
5月3日(日)「執筆以外で終わってしまった1日・・・の風さん」
今日も好い天気だ。やりたいことがいっぱいあって、起きた直後は1日の期待に燃えている。しかし、1日が終わる頃には……。
少しはこまごましたことも片付けておかねば、というわけで、宛名シール作成から取り組んだ。出版社から送ってもらう、新人物文庫『円周率を計算した男』の送付先である。昨夜、非常に運が良いことに、トラブッていたはがき作成ソフトを再インストールしたら、ちゃんと動くようになった。パーティションを操作して、Cドライブを大きくしたせいかもしれない。とにかく、それで気を良くした私は、朝からルンルン気分で取り組んだ。ところが、先ず、最初にズッコケたのは、ソフトのバグがあったらしく、更新が必要になったこと。再起動も必要で、けっこう時間がかかった。
印刷から送り状まで終えて、封筒を完成させるのに、午前中いっぱいかかってしまった。
昼食後は、もういいかげん決着をつけなければ、と思っていた上野先生の『数学フィールドワーク』に取り組んだ。理解できていない部分の解読と、誤植があった場合の訂正案の作成が目標である。気分を変えて、食堂のテーブルで始めた。用意したのは筆記具と電卓。頭の中だけではできなくても、紙に書いていけば何とかなる部分もある。そういうところは何とかこなせたが、最後まで頭を悩ませたところがあった。増殖問題である。実は数学の問題というより、文章の読解の問題という方が正しかった。ある節の途中から内容が変わっている部分で、どうしても理解が進まなかった。途中で英語のCDを聴いてみたり、全く関係のない本を読んでみたり、外を眺めたり、色々やりながら、とうとうその本質(つまり節の途中から内容が変わっていること)に気が付いた。こうなると、次は数学の問題である。これもけっこう難しく、自分なりの解釈が必要だった。
丹念に本に書き込みを入れたものをスキャナーを使ってpdf化し、それに注釈を挿入して、現在中国におられる先生へメールで送ったのは、もう夕食前だった。
夕食後は、クルマのトラブルもあって、疲労でバタンキュー。
5月4日(月)「グラントリノ・・・の風さん」
好天気は昨日で一段落してしまい、空は朝からどんよりした雲に覆われた。
朝食後、ワイフのクルマの調子を見に行ったが、やはりエンジンがかからない。
昨日、午前中は普通に走ったワイフのウィッシュが、夜になって急にエンジンがかからなくなった。セルが回るような音はするのだが、エンジンまで伝わらない。まるでスタータのリングギヤが磨耗してしまったような感触だった。
今朝、もう一度やってみると、昨夜と全く同じ症状だった。
それで、懇意にしている中古車屋に電話してみると、「バッテリが弱っているのですよ」という一発回答で、「ブースターケーブルでつないでみてください」と面倒なことを言ってきた。
仕方なく、小屋からケーブルを持ち出し、少し移動したミッシェルのバッテリをつないで始動してみた……ら、エンジンがかかった。
1年後が車検のウィッシュだが、この際、バッテリと磨り減ってきたタイヤを全交換し、来年の新車購入は中止することに決めた。
4時まで執筆を頑張った。
1時間充電したウィッシュのエンジンは一発でかかった。
刈谷の中古車屋に直行するのでなく、必要が生じた本を借りるため、愛知県図書館経由で行くことにした。県図書に到着したのは5時半だった。書庫にある本を検索して印刷した紙を持ってカウンターへ行ったら、「閉館の30分前から書庫の本はお貸しすることができません」という冷たい反応だった。腕時計を見ると、5時35分である。祭日の今日は6時閉館だったの(涙)?
結果として無駄なドライブをしてから刈谷へ向かった。
2時間のドライブで、ナビが「長時間の運転、お疲れ様です」と囁いてくれたが、ちっともうれしくない。
中古車屋に着いて、ウィッシュのエンジンを切ったら、またかからなくなった。県図書でエンジンを切らずに、ワイフに車内で待ってもらったのは正解だった。
工事を頼み、代車を借りてすぐ帰ることになった。また、運転続行である。
途中で夕食を摂り、やけくそ(?)の映画鑑賞に向かった。
今夜観たのは、クリントイーストウッドの「グラントリノ」である。ヘンリーフォンダの晩年の傑作「黄昏」を想起させる渋い出来で、優れた人間ドラマを堪能できた。タイトルのグラントリノは72年式のフォードのスポーツカーで、人生の終焉を迎えた主人公の、最後まで守り通したカッコいい生き様を象徴するものである。
帰宅し、ワイフとワインを飲みながら波乱の1日を振り返った。
5月5日(火)「雨でもトレーニングに励む風さんの巻」
朝から雨である。まるで秋のような景色で、いかにも冷たい雨が降っている。思ったほど仕事がこなせなかった自分の胸の中の風景のようだ。
だからと言って、いじけていても仕方ないので、元気を振り絞って仕事に励んだ。
午前中はたまっていた雑用をこなした。これで少し気が楽になったので、続けて執筆に取り組んだ。終わりまで届いていなかったが、夕方からトレーニングに出かけた。雨で憂鬱だったが、気力も体力あってのことだということを痛感しているから、やはり行かねばならない。
今日のトレーナーはお嬢さんだった。小柄でほっそりしているので、何の種目が専門か分からないが、マットの上で柔軟体操をしているのを見たら、恐るべき柔らかさで、圧倒された。
今日も五十肩を痛めない程度に頑張った。
帰宅してからも執筆を頑張った。
来年出版予定の作品の企画書が何とかできた。
5月6日(水)「明日があるさ・・・の風さん」
今日も雨がしとしと降り続けている。会社が始まったこともあり、何となく気持ちがしめっぽく落ち込んでいる。寝不足でもあったので、ミッシェルで出社した。
会社の仕事では、最も気になることに全力投入した。それはまもなく正社員登用試験を受ける期間従業員の指導である。世の中では、不景気のために派遣切りだとか雇い止めだとかが、大袈裟に取りざたされているが、人材こそ会社の宝なのだから、私の勤務先では、こういう時でも、非正規社員に登用の機会を与えている。だから私は、意欲のある彼らに、ぜひチャンスをものにしてもらいたいと願っている。今日も、2時間を、そのための時間にあてた。
帰宅時も雨は上がっていなかった。
昨夜書き上げた企画書を少し手直しして、出版社へメールした。
続けて、ジュンク堂向けの著者オリジナルポップを作成し、出版社へ使用許可のメールを送った。
売れない作家は、色々と苦労があるのだ(笑)。
やることはまだたっぷりあるが、「明日があるさ」と九ちゃんのように明るく歌いながら、今夜は閉店にする。
5月7日(木)「今日も雨・・・の風さん」
今日も雨だが、元気を出して早起きし、電車で出社することにした。
ケータイに録音してある英会話を聴きながら出発。電車の中では、今週末に仕上げる原稿の参考文献を読んだ。根性で出社しても、どんどん雨脚は強くなるから困る(笑)。
定時間内はしっかり仕事し、昼休みには英語の勉強。よし、いいぞ。
しっかり仕事したので、堂々と退社(?)。ここで気を抜いて、ケータイに録音してあるビートルズを聴きながら社屋を出たら、うかつにもネームプレートを忘れたことに気が付いた。ICカードになっていて、入退門のときに必要なのだ。急いでロッカーへ戻ったが、次の会社バスは30分後だ。
ふとケータイを見たら、ビートルズを聴いている間に、五大路子さんから電話があった! ちゃんと留守録音になっているところがスゴイ! 延期になったのだが、塩原温泉勉強会に行こうとスケジュール調整に挑んでおられたらしい。でも、駄目だった、と嘆いておられたが、延期の連絡をしなかった私が悪い。申し訳ないことをした。慌てて電話してみたが、今度は、こっちが留守録音することになった。天罰だろう(^_^;)。
待ち時間を利用して、少し仕事をし、それから再度退社。
電車の中ではちゃんと参考資料を読んだ。
雨がますます強くなったので、駅までワイフが迎えに来てくれた。ラッキー。
夕食後、今月の学会発表の準備に着手。まだまだ当分忙しい。
5月8日(金)「執念で県図書へ・・・の風さん」
夕べはひどい降りだった。今朝もまだ雨が残っていた。
とぼとぼと駅までの坂を下りていくと、つぶれたカタツムリの死骸が目に入った。昨日は、横断中の小さなカタツムリを1匹つまみ上げて、藪の中へ逃がしたのだが、無鉄砲なカタツムリは後を絶たなかったのだろう。
さらにしばらく行くと、体長10センチを越えるムカデの死骸があった。こういうのは、生きていても助ける勇気が出ない。
……と、今度は、生きている人間の女性が向こうからやってきた。夜目遠目傘のうちという。傘をさしているが、さしていなくても美しい人だ。視線が合ってしまった。
「駅まで行かれるのですか? それなら、電車が動いていませんよ」
ガーン!
地盤の弱いところがあるのだろう。電車のダイヤはマヒしていた。
止むを得ずミッシェルで出社した。
いつものような息つく間もない会社生活を送って、少し早めに退社。
近くの駅にミッシェルを置いて、電車で名古屋へ行った。市バスに乗り換えて、県図書へ。そうである。4日に借りられなかった本を借りに行ったのだ。
県図書の玄関へ向かう途中で、はっちゃんによく似た猫を見た。
5月9日(土)「執筆は大変だ・・・の風さん」
昨夜は疲れていて何もできなかった。今日は朝から快晴で、気分も高揚していた。それで、寝坊することなく起き出して、『数学者列伝』(仮題)の見本原稿執筆に着手したが、昼食後、早くもパワー切れとなり、ダウン。
夕方のトレーニングも中止して、執筆を継続したが、思ったほど進まなかった。
その間にも、新人物文庫『円周率を計算した男』寄贈先から、拝受報告メールが届き、いくらか元気が出た。
夕食後も、学会発表の準備を中止して、執筆の続きに取り組んだが、……満足の行くところまでできなかった。
明日は本社出張で終日仕事があるので、夜頑張るしかない……が、疲れていたら、またダウンしてしまうだろう。
5月10日(日)「若者たちの将来・・・の風さん」
昨日に続いて朝から快晴である。今日は、本社で期間従業員の正社員登用試験があるので、その面接官をするために出張した。今のご時世、期間従業員にとって、この機会は、今後の人生を決めかねない重大イベントである。判断を誤らないように、真剣に対応しなければならない。
事前に1時間近い説明を受けてから、全面接官が個別の部屋へ散った。
ひとり30分の面接を1日かけて9人やって分かったことは、まだ30歳前の彼らのこれまでの重い経歴である。たとえば高校中退の理由を尋ねると、事業を営んでいた実家が倒産し、何とかバイトで高校だけは卒業しようとしたが、どうしても家に生活費を入れるため、バイト程度では収入が十分得られなかった、云々。地方出身で就職先がなくて、はるばる愛知県まで働きにきた。今でも親元へ仕送りをしているが、こっちで結婚もし、子供もできたので、ちゃんと就職して、親を呼び寄せたい、云々。決してフリーターとかハケンに憧れて、気楽な人生を歩んできたのではないのだ。
同情だけで合格させることはできないが、やる気と希望に満ちた若者たちが、一人でも多く採用になってほしいと思った。この春、200名ほどが正社員になれるはずだ。
帰りに、バッテリとタイヤを交換したワイフのウィッシュを受け取って帰宅した。
はたして、疲れて、ソファでダウンした……が、あとで起き出して、来週の学会発表の準備をした。
5月11日(月)「キッチンに謎の物体・・・の風さん」
何となく体調がピリッとしない。天気は好いのに……。
ミッシェルで出社。
慌しい時間の中で、設計図面を書いたり、週末の出張詳細スケジュールを考えたり、昼休みにはビジネス英語の勉強もして、夕方から本社へ出張。まるで夏のような陽気だった。
すっかり日が落ちて、人生の悲哀を感じそうになったが、多忙な私には、そんなことでウダウダ感じ入っている暇はない。
ミッシェルで爆走して帰宅。
着替えてからダイニングへ向かったら、ワイフから「ちょっとこれ見て。何だかわかるぅ?」と何となく危険を感じる質問。
恐る恐る近付いて、よっく見たら、ちぎれたトカゲの尻尾だった! しかも、切り口が赤い!
「胴体はペコが食べちまったのかなあ?」
夕食後、書斎で雑務を片付けたが、猛烈に疲労が襲ってきたので(まさか新型インフルではあるまいが)、今夜は早めに寝ることにする。
5月12日(火)「謎の物体の正体を発見・・・の風さん」
目覚めてカーテンを少しだけ開いたら、外が乳白色に煙っていた。
朝から霧に包まれているのである。
ドラマチックな1日の幕開けとなったが、疲労が抜けていない。
首都圏では、今日から新人物文庫『円周率を計算した男』の発売なんだけどなあ。
今日も電車で出社。疲れているときは、ミッシェルの運転はしない方がいい。
会社生活は恒例のラジオ体操で始まったが、その後に密度の高い仕事に、早くもエネルギー切れ状態に突入してしまった。
しかし、お昼はラーメン1杯だけ。その後、ビジネス英語の勉強。今日も頑張って4ページ進んだ。
定時後も仕事が終わらず、残業になってしまった。
駅から急な坂道を上って帰宅した頃には、もうヘロヘロ状態だった。
夕食のデザートの今年最後かと思われるイチゴに、た〜っぷりコンデンスドミルクをかけて食べた。元気出るかな。
ワイフ談。昨夜のトカゲの胴体とめぐり合ったそうだ。ちゃんと生きていて、サンルームでペコと格闘になったそうだが、けなげに戦う姿に感銘したワイフは、ペコを遠ざけて、トカゲを逃がしてやったそうだ。きっとワイフは極楽へ行ける。
何とか書斎に入って、雑務だけは片付けた。早めに寝よう。
5月13日(水)「やはり頭が古いか・・・の風さん」
夕べは早めに寝たが、それでも疲労がとれず、今朝はミッシェルでゆっくり出社した。
そうしたら、何とか元気に仕事ができた。でも、超多忙の中、いくつか仕事をするのを忘れた(笑)。そして、そのまま残業までやってしまい、家で仕事をする時間が少なくなってしまった。
このところ、毎日、新人物文庫『円周率を計算した男』を届けた先から、手紙やハガキやメールが届く。単行本の文庫化なので、単行本を持っている人には原則として届けていない。それでも、知人は毎年増え続けているので、新しい知人に送ることになってしまう。
送ったのはささやかな文庫なのだが、お返しに貴重な研究書を送ってくださる方もいて、恐縮してしまう。
夕食後、ワイフが次女の迎えに出かけた直後、外で大きな音がした。泥棒ではないかと思った私は(なんか昭和時代のような言い回しだな)、懐中電灯を持って外へ出た(こういった行動も大時代的だ)。すると、小屋のあたりで木工製品が倒れているのが見つかった。どうやら、それがスチール製の小屋の壁に当たって音を立てたらしい。
「ゴキブリの怖いあなたが、よく外へ出られたわね。勇気あるわ〜」
帰宅したワイフに報告すると、しきりに感心された。
「人間はしょせん人間だろ」
こういった発想も、昔の常識のなせるわざかもしれない。昨今は、昔の常識を超えた事件が多い。
5月14日(木)「シックスセンスを超えた!・・・の風さん」
新鷹会の野村先生から愛蔵の書籍が送られてきた。闘病中のベッドで選びに選んでくださった書籍である。今後の執筆に役立てて、少しでも良い作品を書いて欲しいという想いが伝わってくる。
ダンボール箱を開いてみると、まるであつらえたようにぎっしりと詰まっていた。そして、実際、それらはずしりと重い貴重書だった。
『大日本地名辞書』全6巻と『日本庶民生活史料集成』全10巻。その中からそれぞれ1冊を抜き取って、茶の間へ運び、ワイフに自慢げに見せていて驚いた。
『大日本地名辞書』のそれは「奥羽」編だった。つまり東北6県に相当する地域である。私が1歳から25年間を過ごした、秋田県や宮城県そしてなじみの深い福島県や山形県の地名が、ちゃんと振り仮名付きで網羅してあるのだ。歴史小説を書く上で、これは必須の資料だが、所有していなかった。
続いて、『日本庶民生活史料集成』は第6巻の「一揆」編だった。目次を見て鳥肌が立った。「元文三年磐城騒動」があった。3年前に『美しき魔方陣』を執筆しているとき、国会図書館で借りてコピーをとった部分である。私は急いで書斎へ行き、そのコピーをワイフに見せたら、ワイフもぎょっとしてくれた。この本も歴史小説家が作品を書くときに、必要になる可能性の高い本だった。
それにしても、なにげなく取り上げた1冊ずつが、私にからみつくようにその存在価値を主張するに及んでは、ご先祖さまのお導き、シックスセンス以上のものを感じてしまうのである。
5月15日(金)「死の強行軍前夜・・・の風さん」
昨夜、風呂に入ろうと階下へ降りたら、異様な匂い! シルバーが玄関と廊下にう@ちをこすりつけていたのだ。それから、シルバーのお尻を風呂場で洗ってやるやら、大掃除をするやらで、とんでもない時間を費やしてしまった(ワイフは四十肩で戦力外通知)。
老猫の介護をやっているのは、世の中平和な証拠だろう。
明日の学会発表の準備がさっぱり進んでいなかったので、今日は、突発有休にした。
ま、1日あれば何とか挽回できるかとタカをくくっていた。
昼過ぎに長女が名古屋から帰省してきて、一緒にランチをしに行った……まではよかったが、学会発表のスライドの修正に、想像を絶する時間を必要とした(凝り性だもんなあ……あ、うそうそ、これまでサボり過ぎです、はい)。
今日の夜ご飯はまるでイタリアのように遅くなってしまったお陰で、デザートを食べる頃までには全員が顔を揃えた。そこでおもむろに、「これは、お国が消費を促すために、お父さんが納めた税金を戻してくれたものだから、しっかり使うんだよ」と言いつつ、家族全員に定額給付金を支給した(笑)。それから、子供らに、新人物文庫『円周率を計算した男』を伝授した(?)。
やはり平和かも。
その後また書斎へ逆戻りして、私は学会発表の準備を継続した。
明日から上京するが、超超超過密スケジュールだ。無事帰って来れたらおなぐさみ〜。
5月16日(土)「おにぎりが生命線・・・の風さん」
大ピンチになると頑張れるらしい。火事場の馬鹿力の一種だ。昨夜はついに日付変更線を乗り越え、さらに発表準備としてモバイルパソコンのアシュレイのセットアップ(発表寸前にしておいてスリープ常態にしておくのだ)までやった。
そこまでやってもまだ寝るわけには行かない。18日(月)にも作家として東京で活動するので、その準備が必要なのだ。ある参考資料を引っ張り出したり、コピーをとったり、印刷したり……。それらの荷造りまでやったところで、とうとう「一段落宣言」した(もっとも相手は自分だけ)。
それから入浴したので、ベッドに潜り込んだのは、外が白みかけてきた午前4時半だった。
頭が冴えていて、眠れなかった。
午前6時起床。
荷物が多かったので、ワイフに最寄の駅まで送ってもらった。
7時28分発の特急に乗車して名古屋まで。うつらうつらする。
名古屋駅で、昼食用のおにぎりとお見舞いの品物やお土産を買ったら、もう腕がもげそうなぐらい荷物が重くなったが、風さんは執念でホームへ。以前、忘れ物をして、ここから走って戻ったこともある。両手の荷物が重いくらいで負けるものか。
のぞみ車中でパソコンを使って、発表資料の点検。アニメーションの設定が崩れているところがあったので修正した。ケータイでサーバーへアクセスして、鳴海風へのメールをチェックして、1件だけ返信した。
品川駅で降りて、待合室で再度発表資料の点検。喋りをチェックしてみると、制限時間におさまりそうもない。
ここしか時間がなかったので、止むを得ず、出張先へ向かう途中だったが、高輪台で途中下車して「ギャラリーオキュルス」に向かった。お土産を渡し、オーナーと世間話をし、新人物文庫『円周率を計算した男』の販売をお願いした。
再び高輪台駅へ。地下鉄、JR、東部東上線(車中で昼食)、越生線を乗り継いで、川角(かわかど)駅で降りた。すごい田舎。一昨年、学会発表で小樽へ行ったときのようだった。徒歩10分と言われる道のりを20分かかって(上り坂で17号館の会場は大学の奥だった)、城西大学へたどり着いた。
新型インフルの自己申告を含めた受付を済ませ、会場を目指したが、やはりまだ発表の準備が不安で、カフェへ移動し、アイスコーヒーを飲みながら、三度(みたび)発表のシミュレーション。大幅に喋りを減らすことに決めた。
それにしてもカフェから外を眺めると、自然、緑、新鮮な空気、野鳥の声……大自然に囲まれている。実に自然に恵まれた環境だ。
自分の発表の前に、お世話になっている先生のゆとりある発表があって、こちらも落ち着いた。
そのお陰で制限時間内にピタリと喋り終え、3つの質問にはややうろたえたが、何とか新年度最初の学会発表を無事終えることができて、ホッとした。
懇親会でもリラックスでき(本を2冊さばいた)、晩御飯代わりにたくさん料理をお腹におさめた(せこい!)。帰る時間になったが、何となく仕事をした気になった。
今夜の宿は東京の定宿なので、実に片道1時間半以上かかった。天気は下り坂だったが、何とか1日もった。やれやれ。
ホテルの館内は無線LANが張り巡らされていて、簡単にネットにつながった。
しかし、もう疲れていてどうしようもなく、少しメールの送受信をしただけで、鳴海風はお店を閉じた(笑)。
5月17日(日)「東京雨男、東奔西走・・・の風さん」
午前6時起床……したが、眠い。
風呂に入り、昨日コンビニで買っておいたパンで朝食にし、連泊になるので適当に部屋を片付けて、それから、おもむろに部屋のカーテンを開けたら、外はどしゃ降りだった(笑)。
フロントで部屋の掃除を頼んで、外へ出ると、豪雨である(涙)。
それでも、めげずに、コンビニで昼食用にまたおにぎりを買った(笑)。
地下鉄の駅に潜り込んで、びしょ濡れの傘をたたんだ。目的地に着く頃はどうなっているだろう?
川角駅まで1時間半かかった。今日は、車中では、英会話の録音をケータイで聴いていた。この涙ぐましい努力が天に通じたのか、埼玉県の空は明るかった。
傘なしで会場まで歩き、同僚の発表にも間に合った。
続いて、別のセッションも聴講し、午前の部が終わったところで、今日は終了にした。
私鉄と地下鉄を乗り継いで(また車中でおにぎりで昼食。今朝の雨はすっかり上がっていたので助かった)、1時間半かかって東京大学研究博物館にやって来た。「維新とフランス」展をやっていることを、東善寺の村上住職から教えられて、ぜひ行きたいと思っていた。会期は今月末までで、明日は月曜で休館なので、やはり今日しかない。
貴重な写真がどっさり展示してあった。思わずシニアグラスを取り出して、一つ一つ詳細に観察することになった。ヨーロッパで撮影した幕府の人物写真が多いし、幕末の横浜、長崎の風景写真にも目が吸い寄せられた。
こういう場合、展示図録を必ず購入することにしているのだが、東大出版会発行の分厚い図録は、どちらかというと目録に近く、価格も8900円で、ちょっと迷ってしまう。博物館では買えなかったので、明日、再検討することにした(連絡先は確認済)。
それにしても本郷のキャンパス内には古い建築物が多い。
約1時間の見学を終えてから、新鷹会の野村敏雄先生のお見舞いに行った。
ここも遠くて、片道約1時間である。
先生から貴重な資料を送っていただいたので、そのお礼を言い、新刊の文庫も届け、新鷹会の将来についても語り合い、先生の体力の消耗を心配して、今日は40分ほどのお見舞いで退散した。
やはり睡眠不足と疲労とで限界を感じたので、まっすぐホテルに帰ることにした。
定宿近くのラーメン屋でやや早い夕食にし、またまたコンビニで明日の朝食のパンを買って、とにかく部屋でひっくり返った。
また明日も頑張らねば。
5月18日(月)「文庫は売れているらしい(?)・・・の風さん」
昨夜、11時前に寝たら、今朝、4時半に目が覚めてしまった。
そのまま起きてしまうと、1日がもたないので、おとなしくまた寝て、今朝も6時過ぎに起きた。余裕しゃくしゃくかと思って、メールチェックしたりしていたら、あっという間に出発時刻が迫ってしまった。慌てて荷造りし、身だしなみを整えて、出陣した(笑)。
今日は夏のような青空で、日中の気温がそうとう高くなりそうだった。
今日も死の強行軍は続くので、少しでも身軽になるために、先ず、品川駅に行き、コインロッカーにキャリーバッグを預けた。しかし、朝の通勤ラッシュ時間帯の移動は、計画ミスだった。田舎の人間に鮨詰め状態の電車は耐えられない。それでも、計画は実行しないと、またいつか計画しなければならないので、やはり死の強行軍をやめるわけにはいかない。
今日の最初の目的地は谷中霊園にある明治の数学者菊池大麓の墓だ。谷中霊園は初めてだった。日暮里駅から徒歩で小高い台地にある墓地を目指した。
途中、長谷川一夫の墓やおっぺけぺの川上音二郎、高橋お伝の墓に寄り道しながら、乙5号2側を目指した。ところが、菊池家、箕作家の墓は、飛び地にあって、ちょっと見つけるのに時間がかかった。
こうして墓地を訪ねると、歴史上の人物が確かな存在感をともなって作家の胸にせまってくるから、取材は重要である。菊池大麓の兄の奎吾の墓が意外と小さいのが気になった。早世していなければ弟の大麓以上の傑物になったかもしれない秀才だっただけに……。
菊池家の墓地に合掌してから隣の徳川慶喜の墓地を門扉越しに見学して、次の目的地へ急行した。
御茶ノ水駅から歩いて、学士会館を目指した。
ここで『怒濤逆巻くも』の主人公である小野友五郎の子孫だという東大の教授ご夫妻に初めてお目にかかるのである。話によっては咸臨丸子孫の会を紹介したいと思っていた。
短時間ではあったが、まさに怒涛の速度で情報交換でき、素晴らしいご夫妻であることがすぐ分かったので、早速咸臨丸子孫の会を紹介してさしあげた。今後は、会の事務局に接触してもらい、正式に入会の運びになるだろうと思う。
お二人は拙著『怒濤逆巻くも』をお持ちだったが、アマゾン(新品)で購入したというそれには、間違いなく私のサインがしてあったので、非常に不思議に思った。
続いて、新人物往来社へ行った。今回の新人物文庫6冊の中では、拙著は『新撰組顛末記』(発売後1週間でもう増刷が決まったとのこと)に続いて売れているとのことで、ひとまず安心した(が、本当のところは、他の本とドングリの背比べだった)。続いて、社長と一緒にジュンク堂の挨拶回りに向かった。トークセッションの予定もあるので、池袋本店でも新宿店でも、文庫は丁寧に扱ってくれていた。私が製作したオリジナルポップも使用してくれていた。
新宿で社長と別れ、「Net Rush」のエグゼブティブ名鑑に出演するため、恵比寿のスタジオ兼カフェバーNextStyleへ向かった。
上野先生も合流して、新人物文庫『円周率を計算した男』の発売記念のネタと、上野先生の西安での集中講義の話の2本を収録した。
今日も、高密度の1日で、いちおう執念でスケジュールをこなした。明日からもやることは死ぬほどある。
品川駅で忘れずにキャリーバッグをコインロッカーから出して、帰りの新幹線に乗車し、この気まぐれ日記を書いている。
5月19日(火)「私の小説は決して難しくはない・・・の風さん」
昨夜は名古屋駅で宝塚観劇帰りのワイフと合流して帰宅した。ワイフは大和悠河のラストステージを観るため、日帰りバスツアーで行ってきたのである。
ま、お互いに、夢のような世界から現実に戻ってきたわけだ。
それで、就寝が遅くなったので、今日はミッシェルで出社した。
今日から新人物文庫『円周率を計算した男』の社内販売も開始するので、大量にミッシェルに運び入れた。
会社の仕事は大変である。精神的な余裕が全くない。超高密度に仕事をこなしていかなければならない。会社員が長生きできない理由はこんなところにある。
月末にTOEICの試験を受けるので、これからは英語の勉強に集中したいのだが、なかなか簡単に問屋は卸してくれない。いつも通り昼休みに少しだけやった。
目が回る忙しさの中でも、見かけた人間に確実に文庫を売り込んだので、今日だけで15冊もさばけた。価格は社内販売特別割引価格(私に利益はない)なので、それで売れている面もあるが、数学アレルギーのある人たちは、内容を確かめもせず、拒絶反応を示す。普通の小説の方がずっと難しくて、私の小説の方が実はやさしいということが想像もつかないのだ。こういった不幸な人が生じないように、私はこれからも頑張るしかない。
就寝前に牧薩次の『完全恋愛』を読み始めた。これは、実は辻真先先生の作品で、今回、第9回本格ミステリ大賞を受賞された、すごい作品なのだ。今夜は数ページ読んだだけだが、私の作品よりはるかに難しい単語と文章、言い回しが使ってある。日本語としても高度な文化遺産なのである。
5月20日(水)「今夜もシルバーの世話・・・の風さん」
先週から余裕がなくて、ミッシェルで通勤している(この方が少し寝坊ができるし、帰宅時間も自由度が高い)。しかし、会社の仕事が大変で、クルマ通勤しかあり得ない時間の過ごし方になっている。やれやれ。
やっと帰宅したら、接骨院からワイフはまだ戻っていなくて、恐る恐る玄関のドアを開けてみると、案の定、玄関にシルバーのう@ちが! 少し着替えて、廊下も含めて大掃除をした。それからシルバーを風呂場で洗ってやり、今度は、フローリングになっている1階を、掃除機で掃除した。
だいぶきれいになったと思って、掃除機を物入れにしまっている時に、ワイフが帰宅した。……と、ふと後ろを振り返ったら、さっきまでなかったシルバーのオシッ@の海が床に広がっていた。
すっかりペースが狂ってしまったが、やるべきことはやらなければならない。
書斎で今回の上京で入手した名刺の整理をやり、その後、県図書から借りている資料の電子コピーをとった。きれいな画像データを残したので、すべて終わったのが午前2時近くなってしまった。
5月21日(木)「テンカウントは聞かないぞ・・・の風さん」
寝不足だったが、根性で出社(笑)。
ただでさえボケ気味だが、寝不足が加わって仕事の効率は低レベル。それでも、やらねばならぬ。とても給料分の仕事をしているとは思えないが、ひたむきな姿勢だけは示す。……しかし、そろそろ年貢の納め時かと、最近は何度も思ってしまう。そんな迷いを振り払いつつ、また仕事に神経を集中させる。これが普通の人間の生き様で、私もそのひとりだ。
今日も残業になってしまい、ミッシェルのライトを点灯させて退社。
珍しく次女がもう帰宅していた。
ワイフは明日から友達と韓国へ出かけるので、その準備に余念がない。新型インフルの関係で入国審査が厳しいらしい。当然だ。それでなくても世界の嫌われ者、日本人だし。背泳ぎの世界記録が幻になりそうだが、有色人種に対する巧みな差別だと私は思う。
書斎に入ってパソコンに向かったが、猛烈に眠くなってしまい、またダウン……。
5月22日(金)「ワイフは韓国へ・・・の風さん」
梅雨が近付いているのだろうか。天候が不順だ。朝から晴れたり曇ったり、さらに小雨がぱらついたりしている。
ワイフは早朝から韓国旅行に出発した。
今日は、だいぶ以前に某学会主催の工場見学会に応募して、その参加券をゲットしてあったのだが、JMAの出張と重なってしまい、そちらは断念した。それで、参加券は部下に譲ることにしてあったのだが、職場の仕事のトラブルが悪化して、調整すら困難になってしまった。
そんな状況だったが、昨夜、退社する寸前に、JMAの出張だけは行けることになった。
今日はその「JMA生産技術研究部会」の発足式で、初めてのメンバーに会える楽しみがあったので、ちゃっかり先週発売になったばかりの文庫も、宣伝のため持参することにした。しかし、出張先の近所にある愛知県図書館に返却する本があったので、荷物が多く、文庫は4冊しかカバンに入れなかった。
今年度の研究部会のメンバーは例年になく熱心な人たちが多くて、とても頼もしく感じた。これは熱心なだけでなく、社会人として優秀な人たちが多いのに違いない。優秀な人が多いときの特徴として、「読書をしている」というのがある。今回もまさにそれで、文庫版『円周率を計算した男』を宣伝しながら話を聞いていると、「本は借りずに買って読みます」という腹のすわった人もいたし、「歴史小説が好きです」という既に経営者のような姿勢の人もいた。そうでない人も、初めて聞く江戸時代の日本の数学に対して、明らかに興味を示してくれた。
こういうときは間違いなく本が売れるのだが、こういうときに限って、たくさん持って来ていないのである。サイン本を安く提供でなくて、たいへん申し訳ないことをした。
次女をクルマで駅まで迎えに行く仕事があったので、懇親会ではアルコールを飲まずに帰宅した。今夜はシルバーのう@ちの山はなく、オシ@コの海だけだった。
グローバルケータイを持って韓国へ行ったワイフへメールを送ってみたが返信が来ない。
5月23日(土)「忙し過ぎる〜・・・の風さん」
7時に時計のアラームで目が覚めた。セットしたままだったのだ。気が付かなかった。まだまだと思ってまぶたを閉じたら、次に目が覚めたのが9時で、ビックリして飛び起きた(笑)。今日もやることが多い。
階下へ降りたら、例によってシルバーのう@ちの始末。当然、風呂場でお尻も洗ってやった。それから朝食を摂り、かかりつけの病院へ。今日は内科で、血圧の薬をもらうのだ。直前の検査結果も良好だったし、ここ1ヶ月の血圧記録も診てもらって、いつも通りに弱い降圧剤をもらった。
帰宅して、坦々麺で昼食にし、また外出。地元の図書館へ行って、先週発売になったばかりの文庫と、住居地の話題を書いたエッセイが掲載されている「大衆文芸」を寄贈してきた……が、実は館長も司書も知人も不在で、とりあえず現物を置いてきた。
それから、郵便局に行って自動機で振込みをし、床屋へ行って散髪がてら本を売り(売れなかった)、ミッシェルに給油して帰宅した。
「大衆文芸」向けのエッセイを書くために、夕食前に五大路子さんの公演ビデオを鑑賞した。
エッセイを書いているときに、咸臨丸子孫の会の会長からメールがあった。今日の朝日新聞の夕刊の「おすすめEDO NOVELS」で『円周率を計算した男』が取り上げられていたらしい。これは驚きである。
5月24日(日)「急遽短編執筆・・・の風さん」
「大衆文芸」の5・6月合併号向けのエッセイを依頼されていたので、やっと昨日から着手した。原稿用紙6枚と比較的少量だが、手を抜けない風さんとしては、いつも膨大な時間がかかる。昨日はその事前準備にかなりの時間を投入していた。締め切りは25日の月曜日である。
とにかく今日はそれを早く仕上げて、夕方からトレーニングに行って、夜は夜で、韓国から無事に帰ってくる筈のワイフをセントレアまで迎えに行かなければならない。その後は、英語の勉強もあるし……、と思っていた。
ところが、夕方まで執筆に没頭しても、原稿が仕上がらなかった。力の入れ過ぎだった(笑)。
息切れしただけでなく、このまま文章として完成域に到達しても、今回の依頼原稿の完成にはなり得ないことが分かったのである(詳細は企業秘密のため明かすことはできない)。
迷った。テーマを変えて別のエッセイ原稿を書くか、それとも……。それとも、というのは、原稿提出を断念ではない。急遽、小説に変更するか、ということである。
心に引っ掛かっている小説の原稿があった。新鷹会の勉強会で読んでおきながら、完成しなかったため、「大衆文芸」などに掲載にいたらなかったもののことだ。その中で、初めて勉強会で読み上げた作品は、鳴海風としての出発点であり、いつか必ず活字にしなければならないものだった。書きかけていたエッセイ原稿が、長谷川伸先生に関するものだっただけに、突然、この作品を思い出すとともに、完成意欲が湧いてきたのである。
既に、午後4時を過ぎていた。決断は急がなければならなかった。
こうして私は、ワープロのデータも残っていない古い作品の、再入力から取り組む決意をしたのである。
当然トレーニングも断念した。
午前2時まで頑張って、やっと最後まで到達した。明日、リファインすることになる。
5月25日(月)「長いファックスを送りながら日記も執筆・・・の風さん」
昨夜セントレア空港へ行ってから、マスクをして行くべきだったと気が付いた。
ワイフは元気に友達2人と帰国してきた。グローバルケータイを持って行ったのに、さっぱり連絡がなかったので心配していたが、新型インフルの症状もなく、四十肩が悪化することもなく、前大統領の自殺にからむ事件に巻き込まれることもなく、無事に帰ってきた。ダンボール箱いっぱいの韓国海苔の土産を抱えて(笑)。
いきなり睡眠不足から始まった私は、ミッシェルで出社するしかなかった。
終日会議が続いて、自分の仕事がほとんどできなかった。
帰宅して、夕食を摂ってから仮眠することにした。
目覚めたら午前1時だった(だいたい予想通り)。
それから入浴して体を温め、気合を入れて書斎に籠もった。
午前5時前に、短編原稿がほぼ満足できるレベルで仕上がった。二日間でよくぞここまで(涙)。
早速、パソコンから伊東先生へファックス、編集担当へ電子メールした。
出社前に少しでも横になるか……。
5月26日(火)「『刺青奇遇』に感動・・・の風さん」
1時間ほどの仮眠をとっただけで、ミッシェルで出社。
午前中、夢中になって仕事をした。だらだらとやったら、1日では終わらないくらいの分量である。だいたい仕事なんてものは、そういうものだ。だから、今朝未明に短編ができたのだ。
昼食後、午後有休をとった(なーんだ、午前中高密度の仕事をしたのは、午後休むためだったのか、と言われても仕方ない)。
電車でワイフと合流して名古屋へ行った。シネマ歌舞伎『刺青奇遇(いれずみちょうはん)』を観るためだ。この『刺青奇遇』は、長谷川伸の作品なのである。孫弟子の鳴海風としては、勉強のために観なければならない。しかも、主役は中村勘三郎。きたる長谷川伸の会で、長谷川伸賞受賞が決まっている。授賞式の司会は鳴海風。そういう意味でも、観ておかなければならないシネマ歌舞伎だった。
超満員かと思って前売り券を買ってあったが、全然がらがらだった。しかし、スクリーンに対して中段の中央部、つまり特等席での鑑賞となった。
坂東玉三郎は年をとったが、演技はさすがだった。性格の可愛いお仲を演じていたので、薄幸と分かると、もう同情で泣ける泣ける。
昨年からタカラヅカにはまっているワイフから見れば、これも同類らしい。確かに、かたや女ばかりなら、こっちは男ばかりだ。しかし、そんなことより、一つの様式美を見せつけて、その完成度の高さで圧倒されてしまう。
あとで『長谷川伸戯曲集』で再確認してみると、素晴らしい台詞がかなり忠実に再現されていたのが分かった。
やはり、長谷川伸先生の作品はすごい。
5月27日(水)「短編の掲載が決定・・・の風さん」
本社へ直行して出張した。部の会議で文庫の宣伝をさせてもらった(こういうことができる会社だから風土がよいのだ)。その後、人事部へ寄って、そこでも2冊販売した(人事部で社員が個人の本を売るというのも大胆だが、風土のよい会社だからできる)。
製作所へ移動して、さあ仕事、と思ったが、週末以来の寝不足がたたって、どうにも眠い。昼休み時間が製作所周辺の530運動(ゴミ拾い作業)になってしまったので、仮眠もとれなかった。それで、午後は仕事の効率が著しく低下した。
夕方、昨日の未明にファックスで送った短編小説が、「大衆文芸」5・6月合併号に掲載されることが決まったという連絡が入った。20年前、新鷹会の門を叩いたときにぶら下げて行った名刺代わりの作品だったので、思わず「やったー!」とガッツポーズをとってしまった。
5月28日(木)「村上春樹にあやかりたい・・・の風さん」
このところ就寝時刻が遅いので、ミッシェルで通勤している。その方が少しだけ睡眠時間が稼げるからだ。しかし、電車通勤の方が疲れないし、多少元気なら読書ができるので、どっちもどっちだ。今日は天気が悪かったので、ミッシェルで正解。
今日も、出社してから終日会議が続いた。その合間を縫って、データを取りたい仕事があったので、依頼書を書いて、現場にお願いした。
昼休みは、日曜日のTOEIC受験のための勉強。
残業してから帰宅し、夕食後、書斎に籠もった。また、大学院で研究費を申請できる機会があり、超特急で書き上げた。全額は駄目でも、これが手に入ると、文献の入手や出張費が確保できるので、後期の研究で必要な経費は心配いらなくなる。うまく行けばいいが……。
今年の長谷川伸の会のための宿泊ホテルも予約しておいた。
出版界では、村上春樹の新刊がすごい売れ行きらしい。発売と同時に4刷まで決まっていて、初日の売上が68万部とか。書店に殺到する客が、店内をぶらぶらして、偶然私の『円周率を計算した男』に目をとめて、買ってしまう……なんてことはないか(笑)。
また、就寝が遅くなってしまった。
5月29日(金)「忙中シルバーの介護有り・・・の風さん」
何となく空模様が怪しい。ぼやぼやしていると、梅雨に入ってしまうだろう。睡眠時間を稼ぐため、ミッシェルで出社。
昼休みが忙しかった。今年も新刊が出たので、書評を載せてもらおうと、東北大学生新聞会へ寄付金を振り込んだ。「先輩〜」と言って毎年おねだりの電話がかかってくるので、「新刊が出たときだけ、先輩面させてもらいます」と答えている(笑)。新人物往来社の社長にも電話して、ジュンク堂大阪本店でのトークセッションについて相談した。実現しそうである。
急いで席へ戻って、英語の勉強。
週末のせいだろうか。非常に疲労を感じる。
今日は空が明るいうちに退社した。
帰宅したら、「技術教育」へ投稿した巻頭言と「大衆文芸」へ投稿した短編小説のゲラが届いていた。週末の間に校正して返却しなければならない。
夕食後、ソファで仮眠。もう我慢ができなかったのだ。
午前零時を回って目が覚めた。体の節々が痛い。風邪をひいたのかもしれない。もしかして、新型インフルだったらどうしよう。
廊下に出てビックリした。シルバーのオシッ@の海。さらに玄関の土間にう@ち! 急いで、シルバーをつかまえてお尻をチェックすると、う@ちがベッタリ! そのまま風呂場へ。今夜はワイフも寝室でダウンしていた。
温水シャワーでお尻を洗ってやっていたら、ベッタリ付着していたう@ちが流れ落ちたのはいいが、次々に流れ落ちる。多い。がびーん! 洗ってやっているそばから、う@ちをしてやがる。
午前2時ごろベッドに倒れ込んだが、体中が痛い。明日の朝も痛かったら風邪かも……。
5月30日(土)「TOEIC受験前夜・・・の風さん」
痛い。体が痛い。今日は本山でゼミのある日だが、気持ちがくじけた。
しかし、どうしても大野先生と相談したいことがあったので、先ずは朝食、とフラフラしながら階下へ。
体調が悪いことをワイフへ告げたが、「行くに決まってるでしょ(ゼミへ)!」と突き放された。
ダイニングのテーブルに英語の文献を広げて、ゼミの準備。読まなければならない論文である。英語の勉強にもなるから、ま、いっか〜。猛烈なスピードで読み進む。
結局、テーブルの上にあるものだけで、朝食から昼食も済ませ、風邪薬を飲んで、自宅を出発した。
今日も空模様が怪しい。駅までの道をひろっていると、下校途中の小学生とすれ違う。「こんにちは」と声を掛け合う、田舎ならではの、のどかな昼下がりだが、内心焦っている。
電車の中でも論文を読み続けた。ときおり電子辞書をひかねばならなかった。変な爺だと他の乗客から思われているかもしれないが、仕方ない。事実、変な爺だし。
2時間のゼミを無事終えて、帰りに名古屋のコンプマートでちょっと買い物をして帰った。
風邪薬が効いたらしく、無事に帰宅できた。傘を持って行ったが、雨にもたたられなかった。
夕食後、明日のTOEIC受験の準備をした。
はたして初挑戦の結果はどうなるだろうか。
5月31日(日)「初めてのTOEICでへろへろ・・・の風さん」
最近睡眠不足が続き、心身ともに疲れ気味だったので、金曜日からしっかり寝ることにして、今日のTOEICに備えた。
目が覚めたら、依然として体が痛い。カーテンを開けると、空はどんよりとしている。何となく不安な1日の幕開けだった。
朝刊を開いていたら、文化欄に新人物文庫発刊の記事と『円周率を計算した男』の紹介記事が載っていた! やはり『円周率を計算した男』はオーラがあるのかもしれない。
雨が降りそうな中、颯爽と家を出た……と言うとカッコいいが、英語の録音を聴きながら駅へ。
電車の中でも、英単語の勉強をしながら、気分を盛り上げていった。
会場は名古屋国際中学校・高等学校で、土足厳禁、上履き持参だったが、忘れたので、止むを得ず東急ハンズでスリッパを買った(1000円未満がなかった。高え〜!)。
会場は建築物として素晴らしい校舎だった。現代の子供たちは、こういった芸術作品のような校舎の中で、当たり前のように日々を過ごしているわけだ。街中で変な格好の若者をよく見るが、どうしてどうして、ハイセンスな文化のシャワーを浴びているのだから、将来はきっと花が開くだろう。
模擬試験も受けたことがなかったので、初めてのTOEICにとまどった。リスニングは、様々な人の録音で、米語だけでなくクイーンズイングリッシュも混じっていたりして、そのバリエーションに驚いた。また、リーディングも、文学作品に基く長文読解ではなく、日常目にするような広告や記事、電子メールなどで、これも面白かった。しかし、楽しんでいるうちにどんどん時間がなくなってしまい、最後の10問は回答できなかった。次回の課題。
集中しまくった2時間だった。まるで1500m走り切ったランナーのような疲労と爽快感ごちゃまぜの気分だった。結局、疲れたということだが。
同時に受けた会社の同僚と待ち合わせて、お茶したが、若い連中と違って、年寄りの私はもうへろへろ状態だった(笑)。
帰りの電車の窓から外を眺めると、眩しいような青空で、気持ちを立て直そうと懸命に思った。
夜は、ゲラを二つ処理した。
「大衆文芸」5・6月合併号向けの短編小説は、いくらか手を入れた。元気が戻っていたので、少しマシになったと思う。
いよいよ次は、ジュンク堂トークセッションの準備だ。
09年6月はここ
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